-森田を学んだ私が今考えている種々雑多な事など-

 このHPは生活の発見会北九州集談会の公式ホームページではありません。
 あくまで私、真之介(しんのすけ)個人のホームページです。ここでは、公式ホームページに掲載するには内容的に必ずしも適当ではないと思えるものを掲載しています。

 約30年前の写真です。場所は阿蘇のキャンプ場です。当時、毎年の北九州集談会の行事として阿蘇でキャンプをしていました。参加者は最大で20名を超えたこともありました。また、その後は集談会のメンバーとスキーにも行くようになりました。

2024年1月記→ 3月6日追記     3月7日 2ページ目を追加。

読書について


  森田正馬は大変な読書家でした。様々なジャンルの本を読んでいたようです。その事は『森田療法の誕生』畑野文夫著 三恵社 に詳しく書かれています。 
また、森田正馬全集第五巻にも、森田先生の以下の発言が記載されています。

 本はいくら読んでも読み足らぬ。なるべく多く本を読みたいから、不眠に苦しむことはない。むしろ不眠があるほど良い。森田全集五巻P333 

夜中でも目が覚めたら本を読む。本が面白いと、時には片方ずつ休めて、交代に目をつぶって読むような事もある。森田全集五巻P380 
私は18歳の時からいままで42年間、日記を一日も欠かした事はない。近年の読書が、雑誌や調べものは別として、一年に平均60冊余り・・・ 森田全集五巻P432 
 

 しかし、世間一般では「読書が好きです」と言うと、「この人は社交性に欠けた変人かも知れない」と思われる傾向もなきにしもあらずです。私自身の若い頃を思うと、確かにそれも否定はできません。
ですがそれは、「読書好きの中にはそのような人もいる」ということにしか過ぎません。
例えばホリエモンの愛称で知られる堀江貴文も読書好きで有名な人ですが、彼ほど社交性のある人物も少ないでしょう。 伊藤忠商事(株)元社長で『死ぬほど読書』著者の二羽宇一郎は、読書と仕事と人付き合い、その三つのバランスが取れてこそはじめて良い仕事が出来ると書いています。読書好きの人が時に偏ってみえるのは、そのバランスが取れていない場合なのでしょう。(私がまさにそれでした)。

  しかし私は「読書は人生に本当に必要なものなのだろうか?」と時として疑問に思うこともあって、読書という行為の意味をどこかに明快に説明していないかと探した時期がありました。
 それがありました!
 お笑い芸人でありながら小説を書き芥川賞を受賞した又吉氏の文章です。

『夜を乗り越える』又吉直樹 小学館よしもと新書


「なぜ本を読むのか」理由:その①

 僕が本を読んでいて、おもしろいなあ、この瞬間だなあ、と思うのは、普段からなんとなく感じている細かい感覚や自分の中で曖昧模糊(あいまいもこ)としていた感情を、文章で的確に表現された時です。自分の感覚の確認。つまり共感です。
 わかっていることをわかっている言葉で書かれていても、あまり共感はしません。
言葉にできないであろう複雑な感情が明確に描写された時、「うわ、これや!」と思うんです。正確には「これやったんや」と思っているのかも知れません。自分の心の中で散らかっていた感情を整理できる。複雑でどうしようもなかった感情や感覚を、形の合う言葉という箱に一旦しまうことができるのです。

「なぜ本を読むのか」理由:その②

 これまで自分が持っていなかった新しい感覚が発見できる

 (本を読んでみたが)「私は共感できなかった」という人がけっこういます。いや、あなたの世界が完成形であって、そこからはみ出したものは全部許せないというそのスタンスってなんだろうと思うんです。あなたも僕も途上だし、未完成の人間でしょう。

 今まで自分が信じて疑わなかったようなことが、本の中で批判されたり否定されたりすることがある(中略)言い換えれば読書によって今までなかった視点が自分の中に増えるということです。
(中略)それは自分の中にもうひとつの視点を持たせてくれることになるし、思考の幅を広げることになります。

 自分がわからないものを否定し遠ざけ、理解できること、好きなことだけに囲まれることは危険です。

 すべてに共感するのではなく、わからないことを拒絶するのではなく、わからないものを一旦受け入れて自分なりに考えてみる。

 これはまさに、森田学習をする時の姿勢としても当てはまるような文章だと私は思いました。
さらに、読書の利点として「何度でも読み返せる」「再読してみると、以前とは全く違った視点を再発見できる」とも書いています。まさに同感でした。


 ここで最近の私自身の事を書きます。
 ブログを書き始めたのが2023年12月。同じ月の下旬頃からだったと思うのですが、以後随分多くの本を読みました。まず司馬遼太郎の『歳月』全二巻。これは実は全八巻の『竜馬がゆく』を読み始める前の助走として読みました。いきなり八巻の長編小説を読む自信がなかったからです。そのまま勢いづいて『竜馬がゆく』を読み始めました。実は、この小説はずっと若い頃に最初の数十ページ読んで「面白くない」と断念した小説でした。ところが今回読んでみると「これほど面白くて夢中になって読める小説は近年なかった」と思ったのでした。私自身の意識が若い頃とはあきらかに変わっていたのです。2024年1月27日に八冊目の最後まで読破しました。一冊が400ページ以上×8冊です。読書は夕食後から就寝までの間にしかやっていません。朝は犬の散歩。その後天気が良ければ近所の山歩き、午後は買物という生活で、読書は夜間のみでした。その間、発見誌1月号や2月号も読んでいます。
以下、『竜馬がゆく』で印象に残った言葉のひとつを引用します。

 竜馬は議論の勝ち負けということをさほど意に介していないたちであるようだった。むしろ議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばあることを、この現実主義者は知っている。
「すでに議論で七分どおり、当方のいうことに相手は服している。あとの三分まで勝とうとすれば、相手はひらきなおるだろう」
            『竜馬がゆく 八』司馬遼太郎 文春文庫

 若い頃の傲慢な私なら、このような言葉に感銘を受けることなど、まずなかったかも知れません。「なぁるほど、議論に打ち負かされた相手の立場に立ってみれば、確かにその通りだ」と納得しました。(私自身は相手から名誉を奪うことばかり考えて生きてきたかも知れません。でも実際には思いとは逆に、自分が名誉を奪われることばかりだったような気もします。)これはあくまで小説なので、実際の坂本竜馬がこのような考えを持っていたかどうかまでは私には判りません。しかし、もし竜馬がいなかったなら薩長連合や大政奉還はあり得なかった事は、後の勝海舟の証言からも史実であるようです。歴史を動かしたひとりの若者のストーリーは、まったくもって感動的な小説でした。

 さて、『竜馬がゆく』を読破すると手持ち無沙汰になってしまいました。そこで帚木蓬生(ハハキギホウセイ)の小説を読むことにしました。私が帚木蓬生のことを知ったのは、発見会から「生活の発見2019年号外」として郵送されて来た『森田正馬没後80年記念事業の記録』に帚木さんの記事が掲載されていたからでした。それ以前にも福岡県中間市在住の精神科医で、小説を書いている人がいるという話は聴いてはいたのですが、具体的にどんな作家なのかは知りませんでした。私は知らなかったのですが、結構著名な小説家だったのですね。そこで、一度は帚木さんの小説を読んでみようと思い、過去に映画化もされたという『閉鎖病棟』を読んだのです。そして今回読んだのは『カシスの舞い』でした。どちらの小説にも言えるのは、私としては最初の半分位までは読むのがかなり苦痛でした。今回も、もうこの人の小説は二度と読むことはないだろうと、初めはそう思いました。ところが、半分を過ぎると夢中になって読むようになっていました。最終シーン近くでは感動のあまり泣いてしまいました。印象に残った言葉は以下です。

 舞台はフランスです。ナカザノ氏という日本人に、フランス人がある依頼をしたが、結局やんわり断られてしまった時の事を、断られた側のフランス人が回想する場面です。

 ナカゾノ氏はウイ(イエス)ともノン(ノー)とも言わない。微笑するだけです。(中略)わたしはそのとき、われわれと日本人との違いをはっきり理解したと思いましたよ。相手が悟るまで待つという解決法があるのですね。
   『カシスの舞い』帚木蓬生 新潮文庫

( )内は私の注釈です。

 若い頃の私だったら、決して印象には残らなかった言葉です。「だから日本人は駄目なのだ」などと思ったかも知れません。今の私は逆です。白黒をはっきりさせる西洋的価値観は、戦争や殺戮が世界で無くならない原因のひとつではないかとさえ思っています。

 ともあれ、読書から学ぶべき事は多くあります。もちろん、読書と実生活上での人付き合いと、どちらを選ぶべきかと言えば当然、実生活の方です。しかし両方選べば、人生の視野が広がります。

私と読書

 
 私はそれほど多くの本を読んでいる訳ではありません。大学生になるまでは小説など読んだことは一度もありませんでした。コミック漫画だけは大好きで、読んだ後は宝物のようにして保管していましたし、写真集のような物も好きでしたが、エッセイや小説は一冊も読んだことなどなかったのでした。そんな私が大学は文学部英文学科に入学したのですから、全くふざけたものです。理工系学部の人達のように明確な志や目標を持って学部を選んだ訳ではない文科系の学生は、遊ぶ為に大学進学したような人が多かったのは事実です。私もそのひとりで、私が本当に専攻したのは「山岳部」だと言っても過言ではなく、趣味の登山をする為の学生生活でした。
  あれは大学一年生の夏休みでした。教授から「夏休みの間にこの本を読んでおくように」と言われたのがD.Hロレンスの『牧師の娘達』でした。ロレンスで有名なのは『チャタレー夫人の恋人』ですが、『牧師の娘達』の内容は牧師という職業の欺瞞や偽善を描いたものだと記憶しています。100ページそこそこのごく薄い文庫本だったのに係わらず、それまで小説など読んだこともない私には読破するのが相当な苦痛だったことを覚えています。1ヶ月以上かけてのたうち回るようにして、やっとの思いで読み終えた時には本当にホッとしました。そんな私でしたが、転機は大学二年の時に訪れました。山岳部の合宿を終え、山登りにやや食傷ぎみになっていた私は、どうゆう訳か小説を読み始めたのでした。夢中になるとそればかりに走る私は、夏休みの間に100冊の文庫本を読破したのでした。それからの私はひたすら読書好きになり今日に至っています。しかし、今思えば、当時乱読した本が私の人生に何か役立ったかと言えば、「全く役立たなかった」とそう思います。
  若い頃好きだった作家は、サリンジャーやヘミングウェイ、それにサマセット・モームなどです。白水社の翻訳小説や「ニューヨーカー短編集」なども随分読んだと思います。
  社会人になってからは、村上春樹や山川健一などをよく読みました。司馬遼太郎を読むようになったのは50歳を過ぎてからです。でも読んだのは小説ではありません。『司馬遼太郎講演録』や『司馬遼太郎が考えたこと』などのエッセイでした。
このようにして読書習慣が身についた経験は、森田を書籍から学ぶ上でも随分と役立ったと思っています。

  実は、私が過去最も多く読み、今も読み続けているのは、登山関係の書籍です。世間的には認識されていませんが、実は登山と読書とは密接な関係にあります。本当に登山を愛している人は、皆さん例外なく読書好きです。「山の本」という言い方をする登山関連書籍を蔵書として沢山持っている登山家は多いと思います。
  『山の名著』福島功夫著・東京新聞出版局、『山岳名著読書ノート』布川欣一著・山と渓谷社、『山の名作読み歩き』大森久雄著・山と渓谷社 などなど、登山関連書籍を紹介する為の書籍が多く出版されていることからも、その事がうかがえるくらいです。
  「その人が本当に山が好きかどうかは、山の本を読んでいるか否かによって判る」というような事を、どなたかが書いていましたが、私も全く同感です。例えば、知人の誰かが「私は登山が趣味です」と言ったとします。でもその人の家に行くと、本棚に登山関連書籍がほんの数冊しかなかったとします。私はこう思うのです。「ああ、この人は本当に登山を趣味にしている人ではないな」と。
  読書と登山との関係は結構大きいのです。例えば誰かから誘われて富士山に登ったとします。本を読まない人は「私は富士山に登った」とそれだけの事で終わってしまいます。でも、富士山の頂上からいろんな山並みが見えていたよなぁ、あの山は随分と形が良い山だったけど、名前は何という山なのだろうなあ、と思ったとします。今ならばネットで調べれば判るかも知れませんが、昔は本によって初めて知ることが出来ました。「ああ、あの山は○○山だったのか」と知るのです。「では、富士山は日本一高いとしても、日本で二番目に高い山はどんな山なのだろう」とか、「世界にはどんな山があるのだろうか」とか、ここまではネットで調べれば判るでしょう。でも二番目に高い北岳という山に登る為には、どうすれば良いのかと調べようと思えば、やはりネット情報だけでは不十分で、ガイドブックを買うことになるはずです。そのうち、その山の歴史や、誰が最初にその山に登ったのかなど、本によってどんどん興味が広がって行きます。目的の山から下りて帰宅した後は、今度はその山に登った先人達の紀行文を読んだりすると、ありありと情景が頭に浮かんで来たりします。次第に日本中、あるいは世界中の山々への興味や想像力などがどんどん湧いて来るのです。そうやって山の世界がどんどん広がって行きます。そのような人達が、やがてはエベレストを目指したりもするようになるのです。
  本を読まない人には、そのような広がりはありません。
  こうやって考えてみると、登山だけの話ではなくて、読書というのは同じようにして人生に夢や広がりを与えてくれるものかも知れません。

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